高島屋発展の鍵 自他の利益をはかるべし
高島屋といえば巨大百貨店チェーンとして有名ですよね。
ただ、江戸時代においては、先行する三井や大丸、松坂屋に比べると後発の店でした。
高島屋初代は飯田新七で越前の敦賀の中野家生まれ。
10歳の時に京都へ出て、呉服商に奉公。行商にまわったという。それは、京都にいながら京都を知らないというほどだったという。
その働きぶりをみた高島屋・飯田家が新七を婿養子に迎えた。
新七は分家として古着商を始める。天保2年(1831)のことだった。現在の高島屋が創業したのはこの年になっている。
新七夫婦は必死に働いた。
隣家に呉服商ができ経営も押されたが、新七は隣の店より早く店を開いて働き者をアピール。それが評判となり、隣の呉服商は店を閉めたという。
その飯田新七、高島屋経営の基本方針を3か条に定めた。
「正札」「正道」「平等の待遇」の三つ。
それがやがて四つの綱領となる。
1、確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし。
2、正札掛け値なし。
3、商品の良否は、明らかに之を顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず。
4、顧客の待遇を平等にし、いやしくも貧富貴賤に依りて差別を附すべからず。
特に1番目、客も売り手も、共に利益を得て喜べる商売を目指した。
2代目飯田新七も「自利利他は古来の家風なり」と言っていたという。
(マンガは「歴史人物に学ぶ 大人になるまでに身につけたい大切な心」第2巻より)