【漫画】デットマール・クラマー 日本サッカーの父(1)
ドイツ出身のサッカー指導者。
コーチとしてサッカー日本代表チームを基礎から育て上げたことから「日本サッカーの父」と呼ばれます。
クラマーは幼くしてサッカーの才能を認められ、16歳ではドイツトップチームへ昇格。
しかし、第二次世界大戦でドイツ軍パラシュート部隊に配属され、レニングラードで捕虜となります。
ドイツ敗戦後に帰国しサッカーを再開したものの足の故障により、指導者に転身。彼の書いた指導書はベストセラーにもなりました。
さて、昭和三十年代前半、アジアで最弱の日本チーム立て直すため外国からプロのコーチを招く……現在では普通の考えですが、当時はそんな発想はありませんでした。
日本代表のチームを、日本人ではない、外国人にゆだねることは、日本人指導陣にとっては屈辱的なことでした。
ですから、強い反対意見もありました。
では、どこの国から? イングランドやブラジル・ソビエト連邦など強豪国はありましたが、色々と縁のあった西ドイツを選択します。
日本より西ドイツサッカー協会に協力を依頼。西ドイツは日本に全面的に協力することを決め、コーチとしてデットマール・クラマーを推してきました。
1960年8月、日本代表は欧州へ遠征しクラマーと会い、10月にはクラマー自身の来日が決まりました。
さて、クラマーは、一体どんな策を持って日本サッカーを立て直していくことになるのでしょうか。
(つづく)
(漫画は『歴史人物に学ぶ 大人になるまでに身につけたい大切な心』第4巻より)